2020/02/24 最終更新
1980年生、山口県萩市出身。
長州藩藩校「明倫館」の建物を残す明倫小学校で少年時代を過ごす。
中学時代、不登校生活となり自室にひきこもり。深夜ラジオの投稿コーナーを楽しみに、鬱屈した青春時代を過ごす。
稀に登校する教室や保健室で、一度は途切れてしまった同級生や先生たちとの関係を「笑わせる」「楽しませる」ことで取り戻した経験から、ユーモアの力と魅力を強く実感する。
この実体験が「大喜利ファシリテーター」としての現在の活動の礎ともなる。
全日制の高校は続かず、アルバイトをしながら通信制高校に入学しなおし、一年遅れでの学生生活が再スタートする。
ひとりの若者として
「学校」と向き合う日々
1999年、iMacを購入しインターネットをはじめる。
Web上に開設した掲示板(現在は閉鎖)で、全国の不登校の子を持つ保護者との繋がりをもち、東京、大阪等で複数回のオフ会を開催。「学校に行かない子」でありながら、学校に行かない子の保護者を支援、ネットワーキングする活動をしていた。
通信制高校を卒業後、2000年より立命館大学に進学。
自らが学校に行けなかった経験と向き合いたい、学校とどのように関わればよかったのか、という疑問を解消すべく、教育社会学の道へと一歩を踏み出す。
当時は自身の経験からか、オルタナティブ教育に強い関心を示す。学部卒業論文では「米国チャータースクールの考察」、修士論文では「通信制高校の変遷からみる後期中等教育の社会的役割について」を扱う。
マイノリティの学校を切り口とすることで、学校と社会のトランジションについて、また 「場」「空間」 といった公教育の目的からみれば副次的な社会機能としての学校により強く着眼することとなる。
教員免許を取得するも、多くの日本人は「会社員として勤め人となる」という現実と向き合い、ほんとうの教育のためには在野での活動が必要なのではないか、と考え、教員の道には進まないことを決意する。
2006年より ITベンチャー企業にて就職、会社員生活をはじめる。これまでの経歴を活かし、マニュアル作成や事業説明会・研修などの事業に継続的に従事。
2009年には地域科学研究会 高等教育情報センターにて研究員として入職。
翌2010年、普及し始めていたSNS「Twitter」の大学・大学教職員の活用実態について社会調査を実施、成果をレポートするとともにシンポジウムを開催した。 ※詳細「大学のTwitter利用に関する実態と意向」
市民活動支援、
学生支援に身をおいた日々
2011年、NPO法人シーズ・市民活動を支える制度をつくる会 職員として、非営利団体の活動支援、経営支援に従事。
当時の新制度である「認定特定非営利活動法人法」の普及のためのセミナー運営、機運醸成のためのオウンドメディア(認定とろう!ネット)の企画・監修を行う。
本法人の活動で、多くの市民団体の経営、運営に触れることができた。非営利団体や市民活動の可能性を大きく感じるとともに、参画意欲の醸成の難しさ、ボランティアマネジメントの難しさを痛感することにもなった。
活動に関わったキャリア教育支援団体「NPO法人ブラストビート」事務局にて、プロジェクト学習の企画・運用支援に携わる。2017年には理事に就任、プログラム全体の監修、企画運用の責任者として現在も従事している。
高校生・大学生が 学外活動として幅広く参加し、ビジネスチャレンジを通して「チームでの協働」に取り組る環境において、如何にして年齢・能力の異なる学生たちを意欲的に参加させるか、学びと気づきの最大化を図れるか等を追求し、教材改善やサポートスタッフの質向上、を実践した。 ※詳細
上記ふたつの活動を通して、学生であろうがサラリーマンであろうが、ボランティアの市民活動家であったとしても、「主体的・内発的に取り組む、能動的な参画者」であるためには
【自身の興味や意欲に素直になれる環境】、
すなわち
【自己、自我を発信しても叩かれない、否定されない環境】
が大切であるにもかかわらず、
現代の日本には如何にそれが少ないか、という事である。
感性を殺さず、「わたし(I)を主語にして発信できる人材」は、
環境に潰されてしまう、という理屈も確かにあるだろうが、
場づくりと人材育成、このふたつを同時並行で実施しなければ、
お互いの存在を潰し合うことになってしまう。
これらの気付きから、「教育方法」「指導法」いわゆる「インストラクショナル・デザイン」の領域だけでなく、「環境デザイン」「ワークショップデザイン」「ファシリテーション」についても学び直す必要を強く感じる。
2016年、青山学院大学社会情報学部「ワークショップデザイナー育成プログラム」23期生として就学。従来のインストラクショナル・デザインや「場づくり」「場の活かし方」について専門的に学び、新たな取り組みへの助走とした。
「もの言う人材づくり」を
目指しはじめてからの日々
2017年1月、シンポジウム「FRJ2017 ファンドレイジング・日本」のセッション「ぶつかることを恐れるな!対立型共感形成」を演出、監修。 市民参画ボランティア・非営利の資金調達等の問題における「言いたい」のに「言いづらいこと」「言ってはいけない事」について、如何に考え、検討し、改善していくのか、についてを有力団体の理事や経営者を交えて発信。本シンポジウムの満足度アンケートで最高平均点の評価を得る。
この高評価をきっかけに、「もの言う人材」への潜在的ニーズを強く感じる。2017年には、老若男女が集うディベートサロンのサークル活動を主催。「大人の嗜みとしての、人前で恥ずかしくない【対立の作法】」を提唱し、知識で論破するだけではない、お互いの立場や主張をぶつけあう事そのものを尊重し意味づけした、新たなディベートのかたちを模索する活動をはじめる。
ディベートサロンの活動で、ひとの活動と、感性の発揮には「問い」と「場」の質が大きく左右することを改めて痛感し、後述の「大喜利ワークショップ」の活動に大きな影響を及ぼしている。
少年時代の体験から「お笑い」の可能性を強く感じていたことから、お題にボケる言葉あそび=「大喜利」に着眼。
コンテンツとしてのお笑いでなく、 高度なブレインアクティビティとしての構造をそのままに、広く一般人も参加しやすいものに再編成した「大喜利ワークショップ」の手法を独自に確立。ポータルサイト「大喜利ドットジェーピー」を開設。高校・大学や企業研修などで、人材育成やコミュニケーションに大喜利を活かす取り組みを全国で進めている。
2018年には新宿で【初心者向け大喜利体験スポット ひなどり】を開講。
「オモシロは、つくれる。」をスローガンに話術・発想力を育てる講座で、150名以上の修了生を送り出し、そのもようはNHK『おはよう日本』で放送されるなど注目を集める。
2019年には、経済産業省「EXPO WORKSHOP 2019→2025 万博大喜利ワークショップ」を監修、地域住民に大喜利を通した学びの場を提供、だれでも楽しめる「大喜利の場」づくりの実践者としての評価を得た。
「アクティブラーニングの実践」
「個々の感性を活かすための「問い」と「場」づくり」
によって、
「感性を発信できる人材」の育成、
「答えのない課題への提案・探求を楽しむ文化」の醸成
を叶えたい。
その先に
「ひとりひとりの感性をぶつけあったとしても成り立つ市民社会」
を目指していきたい。
一人ひとりの「暮らし」を、
その向こうにある「世界」を、
より明るく、楽しく、オモシロくするためには、
「わたし」と「あなた」が、時には言い争う事があったとしても、
たまには本音でぶつかりあい、
それでもどうにか、
「わたし」と「あなた」が「わたしたち」になって、
なるべく良い社会であるための「メンテナンスをあきらめない」、
そんな世界をつくりたい、と考えている、
それが、山本修裕という人間です。